今はいない戦争経験の語り部。
はだしのゲンが教材から外され、買いあさりが殺到。
「落ち着けば、ふつうに買えるのでは?」と思いながら・・・。
1992年、私は運よく大学に現役合格できた。
一般教養の教授の授業の話である。
どうも、戦争で強い部隊に所属をしており、負けず勝ち残り連勝を続けた優秀な部隊だったようだ。
その、武勇伝をほぼ授業に費やしていた。
「ちゃんと授業をしてくれ!」と何度も思っていた。
黒板に敵陣と所属部隊の部隊編成を描き、どのように動き敵はどう攻撃し、どう戦い勝ったかをこと細かく語り続けた。
とにかく、すごい部隊だったんだと、そんな授業だった。
だけど、今思え返すと、そんな昔のこと細かな事をしっかりと覚えていることに驚く。
つまり、でれだけ過酷な状況にいて生き抜いたということなのではないかということである。
同じ部隊には死者も出ていたと思う。
だけど、そんなことは一切話さなかった。
武勇伝だが、非常に辛い武勇伝だったのではないだろうか?
だいたが、戦争は悲惨なものとして語られる。
武勇伝なんて、聞けないのだ。
小学校の夏休みの自由研究はいつも悩みのたねだった。
何、作ろう?
何を研究しようと。
ある年、祖父は満州での戦争経験を提出してほしいと言い出した。
自由研究だから、自分で作らなくてはなけないから、「私がインタビューして私が書く」と言った。
だけど、祖父は「いや、自分で書くからそのまま提出をしてくれ」と言った。
小学生の書く文章なんてうまくはないし、と思われたのかと思っていた。
たぶん、自分の戦争体験は自分でしか語れない。
自分の文章で伝えたい思いがあったのではないだろうか?
昨日、映画「ビルマの竪琴」を再度視聴した。
戦争で国のために戦い命を落とした名もなき者たちへの追悼の意を込めて。